ゾウ列車の歌60周年おめでとうございます。
私らの学生時代の楽しみは関鑑子の歌集を片手にトロイカ、カチューシャ、オー牧場は緑.アリラン、夜霧のかなたなどを合唱する事でした.うたごえは平和な社会の到来への喜びの表現である上、学生の他の青年との交流の手段でした。うたごえ運動なしに私の青年時代は語れません。それから長い年月が立ちました.
1989年10月、私は在職していた私学桜丘に教師、生徒、父母をはじめ市民と一体となって原爆の火の保存塔を建立しました。その翌年あたりか突然東京から名古屋へゾウ列車が走る。名古屋の手前、豊橋駅で出迎えて欲しい、校長として挨拶をとの要望がありました。あのうたごえ運動が生きている!。私の驚きは大変なものでした.挨拶は車掌室でとのこと、見えない人々に対してでしたから戸惑いました。しかも名古屋のゾウだけが園長の努力で残った事、東京の子ども議会が列車を走らせたことくらいは感動的な話として記憶していましたが、でもこのように今走るのかはその列車に乗るまでわからなかった。うたごえこそ平和を作るその思いで結ばれた人々がいることを知りました。
やがて私達が建立した平和の塔のいきさつが歌になっていきました「遠ざかるまいこの火から」は桜丘父母自身の体験を歌ったものなので多くの父母生徒が参加してこの地域の歌うまい会の方々、作曲者の藤村先生のご指導で200人を超える合唱団が出来ました.東京の柳沢氏平野氏らと交流が始まり、今も加賀氏とはご縁が続いています。父母の会の一部を改組して文化部として存続に努力しましたが、私の退職と共に合唱の火は消えました。けれども地域の合唱団は目覚しく発展しました。
私はこの方々のお力で平和を願ういのちの音楽会を開催しています事を嬉しく思っています.うたごえは平和の力.その出発点はゾウ列車が走るであったことは間違いないことです。うたごえは人と人を結ぶ.生きていく上では様々な困難に直面するが、それを乗り超える力を与えてくれる。うたごえは生きんとする生命の樹そのものである。60周年おめでとうございます。うたごえから離れず生きていて良かったという思いです。
(及部十寸保)
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