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サーカスから東山動物園にやってきた4頭の象、アドン、エルド、マカニー、キーコは子どもたちの人気者、でも戦争が激しくなり、各地の動物園では動物たちが次々と殺されていきました。そんな中で名古屋の東山動物園では、北王園長さんを先頭に象たちを必死で守り抜いたのです。そして、戦争が終わったあと、生きのびた2頭のぞう、マカニーとエルドを見たいという子どもたちの夢を乗せた特別仕立ての「ぞうれっしゃ」が全国各地から名古屋へと向かって走ったのです。
1949年6月18日、滋賀県彦根市から第1号が出発したぞうれっしゃは、全国で1万数千人の子どもたちがぞうれっしゃに乗りましたが、東京からは、関西・中部圏に比べて名古屋までは遠く時間もかかるので、ぞうれっしゃはすぐに打ち切りとなり、多くの子どもたちがぞうれっしゃに乗れませんでした。
一方、ぞうれっしゃが走るきっかけとなった「東京の上野動物園にぞうがほしい」といの台東区子ども議会の運動は東京全域の小中学生が加わるものとなっていました。
子どもたちはインドのネール首相にぞうをくださいと手紙をおくりました。ネール首相からは日本の子どもたちへ「成長してアジアと世界全体の平和と協力のため尽くしてほしい」「インドの子どもたちからの愛情と好意の使者」としてぞうのインディラが贈られました。
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ぞうれっしゃよはしれ
サーカスで飼育されていたぞうを名古屋の東山動物園が引き取って、戦争中の苦難の道から、戦後の子どもたちの「ぞうが見たい」という要求を叶えるところまでの物語。 |
- サーカスのうた
- ぞうを売らないで
- 雪よ降るな
- 動物園へようこそ
- 動物を殺せ
- 悲しみの日
- いくさが終わる日まで
- 本物のぞうが見たい
- ぞうを貸してください
- ぞうれっしゃよはしれ
- 平和とぞうと子どもたち
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ぞうのつばさ
ぞうれっしゃに乗れなかった10万人の子どもたちの願いは、インドのネール首相に届けられ、インディラが贈られることになりました。 |
- ぞうさん来い!
「上野動物園にぞうが欲しい」という子どもたちの大合唱です。
- 手紙をおくろう
インドのネール首相に手紙を書いて、ゾウを一頭下さい、という子どもたちの熱意が届けられます。
- メッセージ
ネール首相からの日本の子どもたちへの贈り物としての子ぞうインディラに添えられた手紙。
その中で「日本の子どもたち、インドの子どもたち、あなたたちがいつか、おとなになった時、アジアと世界の平和と協力のため、手を取り合って尽くしてほしいから、ここをを込めて、インディラを贈ります」と。
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