1990年、沖縄公演の時、バスに乗った中央合唱団・渡辺一利さんの話。
「基地のそばを通ったとき、ガイド嬢が“詠み人知らず”の歌とことわって歌った歌が、♪金網のむこうにちいさな春をつくってる…の、『タンポポ』の曲だった」と。
基地は一つもいらない、この土地は沖縄のもの、という願いと叫びの花は、今いっせいに咲こうとしている。なのに、政府は金網を取り払ってくれるどころか、その花々をむしりとってしまおうとしているのではないか。
歌は「金網のない沖縄に」とも歌っている。この意志は、今年(95年)の沖縄10.21大会でアピールした、あの女子高校生にも通じる。
作詩の狩俣繁久氏は、70年安保反対闘争の当時は中学3年生。受験勉強の2階の窓から見て書いたこの詩は、「沖縄の子 本土の子」という子どもの作文集出版のとびらをかざった。
「20数年、歌いつがれています。バスガイドたちの申し送りの歌になっています」。今、大学で教えている作詩者のそんな話も思い出した。(大西進)
※うたごえ新聞95年11月27日号より
狩俣繁久原詩/小森香子編詞/大西進作曲
♪金網のむこうに小さな春を…。本紙1970年4/20号に楽譜が載った歌。沖縄の中学3年生・狩俣繁久が2階の窓から見た風景−米軍基地の金網の内外に小さな春を示す花−に心打たれ、基地と爆音の恐怖と隣り合わせで育ってきた思いを重ねて「ふまれてもふまれても」の題で詩を書いた。それが作文集「沖縄の子 本土の子」の扉を飾る。これを詩人小森香子が「タンポポ」として編詞し作曲家大西進が作曲したもの。
タンポポを金網のない平和な緑の沖縄で咲かせたいと歌うこの歌はバスガイドが、基地の側を走る時に歌い始めるガイドの申し送りの歌になるほど口ずさまれるようになった。狩俣は琉球大学教授となり、2004年日本のうたごえ祭典inおきなわよびかけ人として本紙(04年6/7号)にも。
※うたごえ新聞 歌の小箱No.198(2010年6月21日号)より






















