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 北原白秋作詩
 山田耕筰作曲
 詩人・北原白秋(1885〜1942)が1925年の北海道旅行の際に立ち寄った札幌の北1条通りに立ってアイデアを得たという歌(歌われている時計台は現存)。この旅行と直前の樺太観光の成果を児童雑誌「赤い鳥」に詩として発表した中の1つ。作曲家・山田耕筰(1886〜1965)が「童謡百曲集」刊行に向け1927年、作曲。「赤い鳥」は作家・鈴木三重吉が、「子どもが巷で触れる文学などの狢悪・貧弱低劣な現状″に対して、真純な感情を保全開発するために」と1918年創刊(36年まで刊行)。文壇のほとんどが協力する中で、白秋は児童詩の選評を受け持ち、明治以来の美文調にとらわれない児童自由詩を宣言していた。○喜草哲「うたのふるさと紀行」(日本放送出版協会)など
※うたごえ新聞2007年11月19日号歌の小箱NO.85より

北原白秋 作詞
山田耕筰 作曲

この道はいつか来た道。北原白秋(1885~1942)が1925年の北海道旅行で立ち寄った札幌(この歌で歌われる時計台現存)の北一条通りに立ってアイデアを得たという。直前の樺太観光、この北海道旅行と一連の旅行の成果を児童雑誌「赤い鳥」に詩として発表し、この歌は、同じく札幌を歌った「落葉」「楡のかげ」に続き、26年に掲載された。
「赤い鳥」は作家・鈴木三重吉(1882~1936)が、子どもが巷で触れる文学などの“俗悪・貧弱低劣な現状”に対して“真純な感情の保全開発のために”と18年創刊(~36)。白秋は児童詩選評を担い、明治以来の美文調にとらわれない自由詩を宣言していた。作曲は27年。「童謡百曲集」刊行に向け山田耕筰(1886~1965)が茅ヶ崎~東京の列車の中で作ったという。
※うたごえ新聞2010.11.22号歌の小箱No.218より


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